尾崎紀世彦㊗️生誕80周年記念
2023年SRCA #OZK80プロジェクト
2021年はまた逢う日まで、発売50周年。
2022年は没後10年。
そして2023年は生誕80周年。
いまこそ尾崎紀世彦をもう一度。
3つの奇蹟をぼくらは願います!
書籍『ぼくらの茅ヶ崎物語』発売以来、
サザンオールスターズ40周年
ブレッド&バター50周年
加山雄三船長60周年をお祝いして来たぼくら。
●また逢う日のその前に ーー「愛のことば」を添えて(抜粋)
なぜ今、尾崎紀世彦なのか。
なぜ日本人は「さようなら」と別れるのか。
茅ヶ崎市で育ち、30歳を超えました。
人文学の分野で論文を書き、はたまた茅ヶ崎ゆかりの音楽人を研究する。
街を歩けば「あなたの本業はいったい何なの?」と、
未だに聞かれるような私です。
(中略)
時代、場所、ジャンルは違えど、
いずれも大衆に今もなお受け入れらている。
これぞポピュラー(・ミュージック)であり、
その後ろ姿を追いかけ続けたい。
苦難の乗り越え方を学び、そこにある喜びを追体験し、
現代を生きる知恵(智慧)を得たいと願うのみです。
2023(令和五)年は、尾崎さんがご存命ならば
一月一日に、80歳を迎える年となります。
行年69歳、残念ながらこのいのちにおいて、
私は尾崎さんに直接お目にかかることは叶いませんでした。
しかし、私の研究、また生かされている世界は生死を超えます。
幾度も生き死にを繰り返し、
かつては親子兄弟だったかもしれない(『歎異抄』第五条・意訳)。
先日、恩師を亡くしましたが、
実は亡くなった後のほうが「距離」が近くなった気がしています。
<さよならは 愛のことばさ>と云う、
「さよならをもう一度」の歌詞が
この歳までずっと理解ができませんでした。
でも本書を執筆するに当たり、
先の恩師の生前の言葉を思い出し腑に落ちたのです。
「さようなら」は英語に出来ないんだよ、
グッド・バイは「God be with ye/神があなたと共にあられますように」
でしょ。
日本人は「さようならば」という接続詞でお別れするんだ。
それは一瞬一瞬を生ききって、今を受け止め、
また次の一歩を踏み出すための日本人特有の思想なんじゃないかな。
私は音楽評論家ではありませんので、
音楽的な面はどうか曲を、歌を聴いてください。
そして、今もなお私たちにはたらき続けている尾崎さんの「声」を聴く。
(中略)
「湘南じゃないんですよ、僕は茅ヶ崎なんです。」
尾崎さんがラジオで語ったというこの言葉を、
同様に加山雄三氏、桑田佳祐氏も使っており
そしてまた私においても日常的感覚であります。
茅ヶ崎初のレコード大賞受賞者は、尾崎さんなのです。
記録として残る最初の大衆音楽の極みは、尾崎紀世彦。
さようならば!
茅ヶ崎に育ってしまったが故に、
知らぬ間にあのイントロが染み込み、
その生涯の道を知りたいと思うのもまた宿縁。
今こそこの「愛のことば」をもってもう一度、
尾崎紀世彦に逢いにいきましょう。
その1 Publish.
尾崎さんの通史的出版物を制作し、次の世代にその生き様を残したい!
その2 Memorial
尾崎さんのグッズや記念碑などで、
地元・茅ヶ崎に皆が集えるようにしたい!
その3 New piece
尾崎さんの新作を手にする喜びと、
また出逢える日が来るようにしたい!
さようならば、尾崎紀世彦をもう一度。サマーラブ!
2023年1月1日 SRCA代表 釈順正